IYAHでは、期ごとにスローガンを設定しています。
今期のスローガンは「情熱を育もう(Cultivate your passion.)」です。
今回の記事では、このスローガンが設定されるに至った背景や、込められた想いについてご紹介します。
「やりたいこと」が見つからない
『やりたいこと』が見つからないです……
「趣味とかも特になくて、自分には『やりたいこと』がないんです」
「『やりたいこと』はいろいろあるけど、どれも本当に情熱を傾けて『やりたいこと』かと言われると……」
「IYAHで『やりたいこと』が何なのかわからなくなりました……」
このような言葉をよく耳にする。
これらの言葉の前提には、
「『やりたいこと』を見つけられている人は、その人の中のどこかに『やりたいこと』というものがあって、それを見つけることができた人だ。」
「真に情熱を傾けられる『やりたいこと』がきっとどこかににあるはずだ。」
という考えがあるようだ。
だから、
「自分は『やりたいこと』をまだ見つけられていない。それは、自分の中には『やりたいこと』がないからなのではないか。『やりたいこと』を探せって言われるけど、どこにあるかわからないもの、あるかどうかすらわからないものは見つけようがない。」
「『やりたいこと』はいろいろあるけれど、どれも本当に情熱を傾けて『やりたいこと』かと言われると自信がなくて、『やりたいこと』を選び取ることなんてできない。」
という考えに至ったりするわけだ。
「やりたいこと」は見つけるものではなく育むもの
しかし、この前提は正しいのだろうか。
この考えは、「自分の運命の相手、まさに自分にピッタリな相手が世界のどこかにいて、その人がいつか自分の目の前に現れる」という、どこか非現実的な期待にも似ているものである。
確かに私たちは運命の相手と出会うロマンチックな愛の物語を好む。
しかし、現実はなかなかそううまくはいかない。
エーリッヒ・フロムは、愛とは技術であり、現実では愛する技術を学び愛を育むことが大切だと説く。
「やりたいこと」も「愛」と同じではないだろうか。
「やりたいことを見つける」だけでなく、「やりたいことを育む」という方法があることを知り、「やりたいことを育む」技術を学ぶことが大切だ。
というよりもむしろ、「やりたいことを見つける」というのは幻想で、「やりたいことを育む」ことこそが正道であると考えてもいいのではないだろうか。
「やりたいこと」は、世界のどこかに最初から存在しているものではない。
「やりたいこと」は、世界のどこかを探して見つけるものではなく、むしろ自分で育んでいって見つけるものなのだ。
大学生の発達課題としての「やりたいこと」探し
アイデンティティ・ステータス (by ジェームズ・マーシャ)という概念がある。
(出典)Development and validation of ego-identity status. – PsycNET (apa.org)
アイデンティティの状態を、危機と関与の観点から
・自分が何をやりたいのかわかっていないが、特にそれに悩んでもいない「拡散」状態
・自分がやりたいことを見つけているが、悩むことを経験しておらず、浅い考えで決めてしまっている「早期完了」状態
・いままさに悩んでいるところで、何をやりたいのかを模索中である「モラトリアム」状態
・悩みに悩んだ上で自分のやりたいことに対する答えを見つけている「達成」状態
の4つに分類したものだ。
アイデンティティの確立は、生涯を通した課題であり、大学生が「やりたいこと」を見つけられないというのはある意味で当たり前だと言える。
むしろ、大学生のうちに本当に「やりたいこと」が見つかるほど、「やりたいこと」探しはそんなに甘いものではない。
孔子だって「四十にして惑わず(四十歳になって自分の生き方に迷いがなくなった)」と言っているのだ。
大学生にして「やりたいこと」が決まっているという人は、むしろ自分が「早期完了」状態にないかを自問してみるとよいのではないだろうか。
『ヤフーの1on1』で有名なヤフー株式会社の本間浩輔氏に
「1on1を通して社員の『やりたいこと』を追求した結果、『やりたいこと』がわからなくなって、会社を辞めてしまうってことはないんですか?」
と聞いたことがある。
本間氏は、
「確かにそのような面もある。しかし、1on1を通して上司と対話し、『やりたいこと』を丁寧に追究・言語化していくと、何かしら見つかるものだ。」
と言っていた。
IYAHの活動でもそうだ。
IYAHでは、エントリーシート、研修、対話、1on1などを通して「自分のやりたいことは何だろう?」と自問する機会が多い。 自問した結果、かえって「やりたいこと」がわからなくなってしまうことはあるだろう。
しかしそれは、「早期完了」状態から「モラトリアム」状態への移行であり、「達成」状態へと至るための発達のプロセスなのだ。
また、「やりたいこと」を真剣に探そうとするほど、自分が本当に「やりたいこと」が何なのか、正解がどこにあるのかわからないことに苦しさを感じることもあるだろう。
しかし、実は、「やりたいこと」が見つからないことに、過度に苦しさを感じる必要はない。
なぜなら、「やりたいこと」探しは、「正しい答えが一つだけある」といった類のものではないからだ。
答えのない問題に対して唯一絶対の正答を求めようとして苦しんでいる学生は多い。
しかし、世の中の多くの問題は、学校で課された問題と違い、唯一の正答など存在しない。
だから、答えのない問題に悩むことは当然のことだと認識して、むしろ答えのない問題への挑戦を楽しんでほしい。
「やりたいこと」を探すことに苦しむのではなく、「やりたいこと」を育むことを楽しんでみてほしい。
「やりたいこと」は簡単には見つからない。
「やりたいこと」は探してもなかなか見つからない。
なぜなら「やりたいこと」は育んでいくものだからだ。
そして、IYAHでの活動を通して、みんなで一緒に「やりたいこと」を育んでいきたいのだ。
「情熱」を育もう
スローガンを「 情熱を育もう(Cultivate your passion.)」としたのは、このような理由からだ。
「情熱」とは、何かに対する熱い気持ちのことだ。
「情熱を育もう」とは、みんなに、何かに本気になって取り組んで、それに対する気持ちを温めていってほしいということだ。
情熱が見つからないという人は、最初から完全にフィットする情熱を探すのではなく、まずは「情熱の種」を、興味・関心や好奇心の宛先を探してみるところからはじめてほしい。
そして、何かに少しでも興味・関心を感じたら、それに本気で取り組んでみて、その情熱の種を少しずつでいいから温めて、育てていってほしい。
たとえ興味・関心があって、好きなことでも、本気で取り組んでみれば、辛いことや苦しいことに突き当たることはあるものだ。
そんなとき、「自分の情熱はここにはなかったのかも?」と簡単に諦めるのではなく、もうちょっと粘り強く取り組んでみて、自分の情熱を育んでいこうという気持ちを持ってみることも大切だ。
そうやって一つひとつ苦難を乗り越えているうちに、気づけば情熱の種が温まり、芽生え、大きく育っていくというものだ。
むしろ、本気で取り組んでいるからこそ、大きな困難に直面するものなのだ。
だから、そこで挫折して落ち込むのではなく、それは当たり前のことなんだと認識して、そのチャレンジのプロセスを楽しんでみてほしい。
そうやって、情熱を育んで、自分の情熱を温めていってほしい。
もちろん、何事も適当にやっていては、情熱は温まらない。
ほどほどに取り組んでいては、情熱は温まらない。
まだ温めている途中なのに「自分にはできない」「自分には合わない」と水を差すようなことをするから、だから情熱が温まらないのだ。
本気で取り組まないと、情熱は温まらないのだ。
Cultivate your passion.
「情熱を育む」 ことを意識して、活動に取り組んでほしい。
執筆/立教大学社会情報教育研究センター木村充(IYAH指導者)
1983年、広島県出身。修道高等学校、東京大学教養学部卒業。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学後、東京大学大学総合教育研究センター特任研究員を経て、2017年より立教大学経営学部リーダーシップ研究所に所属。
経験学習をテーマに、高校生や大学生の学びと成長について教育・研究し、年間を通して多数の研修やワークショップを企画・運営している。
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