原サチコのハノーファー ⇔ ヒロシマ☆サロン

*生前最後の林先生のビデオメッセージが、ご覧になれる機会です。
原さんは、ハノーファー州立劇場の専属として活躍中。ハノーファー初のヒロシマのお芝居、井上ひさし作朗読劇『少年口伝隊一九四五』の上演準備のために、2010年7月、原爆でお姉さんを亡くされた被爆体験を語り継ぐ意味、ハノーファーと姉妹関係を結んだ時の話などを林先生から聞き、ビデオに収録されました。そのビデオメッセージの上映と原さんのトークをお聴きする会です。
詳しくは、以下のアドレスの記事をご覧ください。
原サチコ ドイツで生きる 役者を生きる
 *記事の中程に、詳しく経緯が紹介されております。
 *同じ内容を抜粋で、下記に引用させていただいております。
(2010年7月22日asahi.com-広島の関連記事HP)
 *朝日新聞に原さんのインタビューに答える林先生が紹介されております。
サチコのドイツ演劇ドタバタ記
 *原サチコさんオフィシャルブログ
【原サチコのハノーファー⇔ヒロシマ☆サロンのご案内PDF】

「原サチコのハノーファー ⇔ ヒロシマ☆サロン」 開催要項

開催日時 2012年 8月 6日(月) 18:00-20:00
会場 NPO法人総合遠隔医療支援機構事務所会議室
広島市中区三川町7-1 SK広島ビル9F
TEL: 082-248-0101
会費 500円 (飲物と軽食を用意しています)
主催 広島・ハノーバー協会
後援 広島国際青少年協会

『原サチコ ドイツで生きる 役者を生きる』

上智大学卒業生でマスコミに従事する方々約2000名で構成されるマスコミソフィア会のオフィシャルBlog より

*記事の内容を抜粋で引用させていただき、ご紹介いたします。

ハノーファーに移籍して転機を迎える

・・(以下抜粋)・・・・・・・ハノーファーは83年から広島市と姉妹都市関係にあった。

10年6月、原さんが姉妹都市を実現したハノーファー前市長に会って、市長から「第2次大戦で破壊され、『美しくない街』と不名誉な呼び方をされているハノーファーが、原爆で破壊されたのに見事に復興している広島市と結び合って共に歩んでいきたいという思いから、10年間にも及ぶ交渉の末、姉妹都市が実現しました」という話を聞かされた。

「そうだ、ここで広島のお芝居をやろう。奇天烈なことばかりやってきた私だけれど、ハノーファー州立劇場で働く日本人はこれまでもいなかったし、これからも現れないかもしれない、ヒロシマのお芝居をここでやることが日本人としての私の義務だ」と、決心した。原さんは自らのブログで、当時のことをこう記している。

「なんだかハノーファーに来たことが、神に導かれたみたいな不思議な気持ちになったのです。日本を離れて10年間ずっと、日本人である私がドイツ語圏で演劇をやっている間に、日本の作品が紹介できないか、と考えていました。ただ日本のということだけでなく、日独を結ぶもの、更に世界を結ぶもの、それは雲をつかむような話で、自分で考えがまとまらなかったのですが…」

井上ひさしの朗読劇をドイツで上演

原さんは09年8月に一時帰国したとき、広島のことを朗読劇にしたという話を知人から聞いたことを思い出し、本とビデオを送ってもらった。

「それは井上ひさしさんが新国立劇場演劇研修所のために書きおろした朗読劇『少年口伝隊一九四五』でした。井上ひさしさんらしい、完成度の高い戯曲で、ハノーファー初のヒロシマのお芝居として最適だと確信しました。劇場の上層部と交渉したら、難しいけれどやる意義はある、ということで上演が決まりました」

上演は決まったものの、東京生まれの原さんは原爆の被災地である広島、長崎の状況について詳しくは知らない。「何も知らない私がやっていいんだろうか」と、10年の夏休みには広島に出掛け、原爆ドーム、原爆資料館、原爆放射線医科学研究所など訪れたほか、

広島ハノーファー協会会長の林寿彦さん(当時79)にも会って、原爆体験を語り継ぐ意味、ハノーファーと姉妹関係を結んだ時の話などを聞き、ビデオに収録した。

ハノーファーで「ヒロシマ・サロン」

「最初は、私が広島でいろいろな人に行ったインタビューを、『口伝隊』上演の前後にビデオ上映する計画でしたが、結果的にそれは不可能になりました。『ヒロシマを語り継いでください』と訴えていた林さんが、私たちが取材した後10月末に亡くなられたこともあって、貴重な最後のインタビューを、ハノーファーの人々にどうしても見てもらわなければ、と思いました。そこで、『ヒロシマ・サロン』と名付けて、30人限定の観客と、広島名物のお好み焼きをつつきながら、広島でのインタビューのビデオを観ていただき、私の広島での経験を聞いてもらうという集まりを開きました。広島のお好み焼きは難しいので、鉄板を買って家で特訓して、材料もハノーファーで手に入るもので工夫しました。小さな会なのに、好評でいろんな新聞でも取り上げられ、何度も開催することになりました。姉妹都市にかかわった元市長や市役所の人たちもいらしてくださり、喜んでくださいました」

「70年代から80年代、広島―ハノーファー間の青少年交流はとてもさかんに行われていたそうです。でもこの10年ほどはあまり話題になっていなかったようで、ハノーファー市民の中でも、広島が姉妹都市であることを知っている人が少なくなっていました。私が『広島に取材に行ってくる』という話をすると『放射能は大丈夫か』と心配する人もいるほどでした。『ヒロシマ・サロン』をやってみて、微力ながら、広島への誤解が解けたり、興味を持つ人が増えたりするのを実感しました。この夏休みに再度広島を訪れて撮ってきたビデオと共に、11月にはリニューアルした『ヒロシマ・サロン』を開く予定です。そこには当然、福島の話題も入ってくるでしょう。・・(以上抜粋)・・・・

(マスコミソフィア会のオフィシャルBlog より引用)

 

原サチコ氏略歴

64年11月 神奈川県生まれ。88年外独卒。84年より演劇舎蟷螂にて演劇を始める。後に劇団ロマンチカにて活動。99年渡辺和子演出「NARAYAMA」ベルリン公演でドイツにて初舞台。

そのとき、鬼才クリストフ・シュリンゲンジーフと知合い、彼の作品に出演。01年ベルリンへ移住。その後、ニコラス・シュテーマン演出の「三文オペラ」ポリー役をきっかけに様々な演出家の作品に出演。04年より、東洋人として初めてウィーン・ブルク劇場の専属となり、引き続き、シュリンゲンジ―フ、シュテーマンを始め、ルネ・ポレシュ、セバスチャン・ハルトマンなどの作品に出演。

09年にウィーンからハノーファー州立劇場に移り、専属として活躍中。02年にハノーファー州立劇場で初演したシュテーマン演出の「三文オペラ」は、新バージョンとしてケルン州立劇場でレパートリーとなっている。原サチコは引き続きポリーを演じている。

11年シーズンは、ケルン州立劇場「Demokratie in Abendstunden/Kein Licht」(9月29日初日)、ハノーファー州立劇場「ニーベルンゲン」(10月23日初日)で幕を開ける。

(マスコミソフィア会のオフィシャルBlog より引用)