創設者 林壽彦先生のメッセージ (第2回)

『こどもたちの社会活動とは‥‥』

少年部の紹介を目的に執筆されたと思われる『こどもたちの社会活動とは‥‥』をご紹介いたします。
※残念ながら、最初の執筆がいつ頃なのかは不明です。

こどもたちの社会活動とは‥‥

こどもたちの社会活動とは‥‥

こどもたちの生活は、昔から家庭と学校を往復しながら成長するものだという考え方が強く、学校以外の生活空間を親は認めなかった。学校は学習のほか、生活指導や、しつけを身につける場所と、今日でも思っている親が非常に多い。また、集団適応性や、社会性も学校で十分身につくと思われている。しかし、今日いろいろな社会問題にまで発展している事柄を見ると、学校はこうした訓練機能をもっていないことがよくわかる。

『いじめ』とか、校内暴力とか、国会論議まで発展している諸問題も、今はじまったことではなく、昔からたくさん起っていたことである。ただ今日とちがうのは、こどもたちの生活の中に、こどもたちだけの世界がなくなってしまい、いつのまにかこどもたちを管理する大人のはたらきが当然のようにこども社会を占領してしまったといってもよいのではないだろうか。

家庭では核家族で兄弟姉妹が少なく、学校では友だち集団がうまく機能せず、すべてのこどもたちが孤立しており、昔からの近所のガキ大将集団はなくなり、家の中でテレビをみるか、マンガを読むなど孤的で静的行動が多くなった。

大人にこうした現象をあてはめて考えると、もし、おとなが働くことだけに終始し、こどもたちほどではないにしても欲求を満足させるものや、場所がなかったら大人はどうなるだろう。こどもは酒を飲んでうさ晴らしといったことはできないし、といって大人のようにガマンはできない。となるとなにかをしでかすこどもは、教育の仕方によっては非常に大きく伸びる素地をもっているといってもよい。ガキ大将が社会人になったら伸びたといわれるのはその辺に要因があると思う。むしろ、おとなしく、抑圧に耐えるこどもの方が先で非常に心配である。

マスメディアが異常発達し、情報過多の今日、これだけで毎日ふりまわされ、ついていけないおとなだってたくさんいる。こどもの社会でも同じことがいえる。集団の適応や、社会的適応より先にメディアや情報に適応してしまい、人間本来の社会集団関係をつくる重要さが薄くなってしまった。

しかし、人間は社会的動物といわれるように、学校、あるいは会社などのような学習成果や利潤成果を主目的とする集団組織ではなく、人間そのものがまじわることを目的とする集団組織に身をおかないと成長しないことを忘れてはならない。