創設者 林壽彦先生のメッセージ (第3回)

『教育論評「少年たちの社会参加の意義とその必要性にいどむ」 =少年部活動はこんな教育をしている=』

中国新聞に掲載された『教育論評「少年たちの社会参加の意義とその必要性にいどむ」 =少年部活動はこんな教育をしている=』をご紹介いたします。
※残念ながら、最初の執筆がいつ頃なのかは不明です。

教育論評「少年たちの社会参加の意義とその必要性にいどむ」 =少年部活動はこんな教育をしている=

クラブ活動という言葉は学校生活の中でよく使われているから耳慣れた言葉であろうが、グループ活動という言葉になると案外その内容を知らない人が多いのにおどろく。

従来日本人は上から下へという、つまり他者からの働きかけによって動く、または動かせるという人間観が支配し、今日でも根強く残っている。親は子に、教師は生徒に、上司は部下に、更に医師や看護婦は患者をと、みんな一方的に動かせようと、また動かせている。このような人間観は結局相手の人間性を無視して、これらを「もの」としてとらえ、機械を操作すると同じように人間を操作しようとする考えである。ところが人間は本来、自分の意志によって動きたいものである。人間だけではない。すべて動物はそうである。

にもかかわらず、うまく操縦できなかったら、その基本的な姿勢を改めようとせず、まますます強化しようとする。権力や圧力、あるいは財力をもって屈服させようとする。そこで多くの場合、その力に屈し、自らの意志を喪失し、操縦されるがままに身をまかせ、やがてはそれが性となり、癖となり、いつのまにかまったく依頼心のかたまりとなり、今度は操縦されることを期待するようになる

こうした古典的、伝統的な人間観によって操縦され、今日のこどもたちや青少年はひとりでは何もできないようになり、いつも人から指示をされなければ動くことをしない。いつも人をたより、いつも人の思惑を気にして疲れはてている。また、上から下に一方的に働きかけることは、働きかけるものの自発性を無視するだけでなく、働きかけられるものとの相互の人間関係を阻害する。

このような無力化したこどもたちや、青少年にふたたびいぶきを吹かせ、自主的に責任感をもって立ち上がらせるためには、どうしても小集団によるグループ活動の必要と、集団治療が重要になってくる。親がいるときには、よく兄弟げんかをするこどもでも、親の留守中はなかよくすごすものである。これは兄弟の間に協力体制が生まれてくるからである。

AはBを必要とし、BもまたAが必要になるからである。さらにこどもが3人いるとしよう。A、B、Cである。その場合の多くは、A、Bの2人の関係が成立するものである。それに対して残った1人、即ちCは第三者として、観察者であり、仲介者であり、調停者の役割を演じる。AとBの当事者が夢中になって気づかなかったようなことでも、Cは冷静に観察し、評価し、当事者にフィードバックすれば、AもBも益することが多い。このCの役割をグループ活動の中ではリーダーが演じる。