『ヒロシマの心を』
このページでは『ヒロシマの心を』をご紹介いたします。
※執筆年は、特に記述されておりませんが、内容から、1976年 ヨーロッパ初の原爆写真展・平和式典が、訪独使節団の手で開催された際に読み上げられたアピールではないかと思われます。
“ヒロシマの心を”……ヒロシマと共にヒロシマを考える平和集会
「私の父は行方不明、どこで死んだのか今もわからない。母は原爆後遺症で苦しみぬき、骨と皮だけになって2か月後には死んでしまった。人はだれでもいずれは親の死を体験しなければならない。しかし、やけどで苦しみ、炎から逃げまどい、やさしい言葉ひとつかけられることなく、はだか同然のあわれな姿のまま、まるでごみくずのように死んでいった。」
広島や、長崎の市民の中にはこんな不幸な、悲惨な体験者がたくさんいる。人間の最後がこんな悲しいあわれな結末で幕を閉じることがゆるされてよいのだろうか。
1945年8月6日、人類史上最初の原爆の惨禍をうけた広島は、35万人が被爆し、即死した人をふくめ、4か月間に14万人以上の人びとが無残な姿で死んでいった。
生き残った人びとも放射線の後遺症でその後も次々と死亡し、今なお多くの人がケロイドや白血病、悪性シュヨウなどで肉体的、精神的に苦しみ続けている。
核兵器がもたらす被害は、これまでの戦争では想像もつかない大規模な破壊を瞬間的に、しかも広範囲に引き起こし、一般市民を巻き込んで無差別に殺りくするもので、人類の生存を完全に否定し、地球を破壊に至らしめるものである。
人類最初の被爆都市ヒロシマの市民は、人びとが平和と繁栄を守るため、どんな理由があろうとも、ふたたび核兵器を使用させてはならないと世界中の人びとに強くうったえる。そして同じ被爆都市ナガサキの市民も、人類最後の被爆都市で終えてほしいと強くうったえている。
広島の平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑文にある「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」、この碑の前に立つひとりひとりが平和を誓いあう言葉であり、過去の憎しみをのりこえ、悲しみや、苦しみに耐えて、全人類の繁栄と共存をねがう「ヒロシマの心」を世界中の人びとに伝えたい。
ヒロシマは単なる歴史の証人ではない。ヒロシマは人類の未来への限りない警鐘であり、人びとがヒロシマを忘れ去ったとき、ふたたび過ちを犯し、人類の歴史が終りを告げる時であろう。
故グスタフ・ハイネマンが広島で残された言葉「我々の全ての道が決して人類破滅の惨禍にむかわないために、すべての人びとがその義務と責任を分かちあおう。さらに全力をあげて立ちむかおう。」を合言葉に、西ドイツの人びとも、ハノーバーの友も「ヒロシマの心」を私たちと共に全世界に叫びつづけてほしい。ノーモア・ヒロシマ、ニービーダー・ヒロシマ。
広島国際青少年協会総主事 林 壽彦